祝寿七〇年記念小林古径展開催
1952年04月小林古径の古稀を記念してその作品展が読売新聞社の主催により一六日から五月四日まで日本橋三越において開催された。
小林古径の古稀を記念してその作品展が読売新聞社の主催により一六日から五月四日まで日本橋三越において開催された。
日本美術院同人、芸術院会員の小林古径、安田靭彦、前田青邨の三人の代表作展が、朝日新聞社の主催、東京国立博物館の後援によつて一八日から二九日まで銀座の松坂屋で開かれた。
日本考古学協会縄文式文化編年特別委員会は昭和二六年度調査の一つとして新潟県刈羽郡刈羽村西谷所在の刈羽貝塚を四月一〇日から一〇日間発掘した。八幡一郎が調査を主宰し、多くの遺物を発見したがこの貝塚はおよそ縄文式前期末から中期初ころに遺されたものとされた。
昭和一二年三月結城素明、川崎小虎、青木大乗の三名を同人とし、明日の日本画を創造するという趣旨を掲げて創立した大日美術院はその使命を一応果したものとして四月一五日解散の声明を発表した。
文化財保護委員会委員矢代幸雄は戦後の欧米美術界の実情調査のため昭和二六年一一月インド経由で渡欧し、イギリス、フランス、イタリア、オランダ等を歴訪、帰途アメリカに渡り各地を旅行、ハワイを経て一〇日帰国した。
四月一〇日から六月二日までスイス、ルガーノで開かれた第二回国際版画展で、棟方志功と駒井哲郎の作品が優秀賞に入選し、賞金が贈られた。
在日外国外交官夫人達によつて日本の美術家を育成し外国に紹介しようとする目的で作られたサロン・ド・プランタンではアメリカの各地で現代日本美術展をするために準備をしていたが、日本画、洋画、版画の作品が集つたので、四月五日から九日まで東京リーダース・ダイジエスト社で展示会を開いた。六月からサンフランシスコで、その後セントルイス、ロスアンゼルス、シヤトル、サンタバーバラで展覧会を開く。
東京国立博物館は今年創立八〇周年に当るのでその記念事業の一つとして四月六日から五月五日まで日本染織美術特別展を開催した。
文化財保護法の一部改正により国立博物館は四月一日より東京国立博物館となつた。
文化財保護法の一部改正に伴い、東京文化財研究所が設置されることになり、従来文化財保護委員会の付属機関であつた美術研究所は東京文化財研究所の美術部として、新設された芸能部・保存科学部とともに新発足した。所長事務代理として文化財保護委員会委員矢代幸雄の兼務、美術部長松本栄一、芸能部長事務代理犬丸秀雄、保存科学部長事務代理関野克が四月一日発令された。なお、従来の美術研究所の所掌した調査研究と同一のものについては美術研究所の名称を併称出来ることになつている。
四月一日から一部改正の文化財保護法により奈良文化財研究所が設置されることになつた。奈良市春日野町五〇に置かれ、所長事務代理として黒田源次が任命された。
信州出身者の親睦団体であつた信濃美術協会を一層強力なものにするために機構を改め、新に在京信州出身美術家と在郷有力美術家によつて信濃美術会を結成した。
大正一三年帝室より京都市へ御下賜になり、それ以来京都市の経営下にあった恩賜京都博物館は四月一日より国に移管され、文化財保護法の規定により京都国立博物館として新しく発足した。館長事務代理は文化財保護委員会委員細川護立の兼務、次長は前館長富岡益五郎に決まり発令された。移管記念として「東京国立博物館保管国有東洋美術名画展」を五月一日より二〇日まで開催した。
二六日から四日間開かれた文化財専門審議会の決定にもとづき、文化財保護委員会は二九日、第二次指定国宝一二六件、第一次指定重要文化財一一五件を発表した。国宝の主なものには「鳥獣戯画」、東大寺の「日光、月光立像」などがあり、また重要文化財の指定は文化財保護法公布以後はじめてで、すでに重要美術品に認定されたもののうちから選ばれたものと全然未指定であつたものから選ばれたものと二種ある。四月三日より一二日まで国立博物館表慶館においてその一部が展観された。
文化財保護委員会では二九日、特別史跡名勝天然記念物七八件、史跡四件、無形文化財四七件の選定を発表した。無形文化財は戦前にはなく文化財保護法によつて新たに保護の対象となつたもので、そのはじめての選定である。工芸技術三六件、芸能一一件で、中村吉右衛門のセリフ、や各種の郷土芸能、薪絵の技術、織物等がその対象となつた。予算による保存事業の実施は五月一七日その計画を発表した。
日本芸術院の授賞選考委員会では昭和二六年度の恩賜賞、芸術院賞の受賞者を選び、二六日その決定を発表した。 恩賜賞 洋画 白滝幾之助、洋画における多年の業績、また三井高精をたすけて三井コレクションを完成したことに対し 日本芸術院賞 第一部-美術 洋画 中山魏、「マチス礼讃」(第五回美術団体連合展出品作)に対して 彫塑 加藤鬼頭太(顕清)、「人間」(第七回日展出品作)その他彫塑界への功績に対して 工芸 山鹿健吉(清華)、手織錦「無心壁掛」(第七回日展出品作)と撚糸、染法などに新生面を開いた功績に対し 建築 吉田五十八、日本建築の近代化研究と独創的革新に成功したことに対し 他部門略。 六月二五日日本学士院講堂において授賞式が行われた。
昭和二六年度の芸能選奨文部大臣賞の受賞者が決定し、二四日発表された。美術部門では次の通りである。 ▽日本画 橋本明治(第七回日展出品「赤い椅子」に対し) ▽洋画 岡鹿之助(第五回美術団体連合展出品「遊蝶花」その他に対し) ▽彫刻 沢田晴広(第七回日展出品「五木之精」その他に対し) ▽工芸 楠部弥一(第七回日展出品(白磁四方花瓶)に対し) 授賞式は四月九日文部省で行われた。
文部省の昭和二六年度買上美術品、日本画五、洋画五、彫塑四、工芸四、書一、合計一九点が決定し、一九日発表された。作品は次の通りである。 ▽日本画 「Y氏の像」前田青邨、「孫」中村岳陵、「白雨」堅山南風、「花」梶原緋佐子、「山河」福田豊四郎 ▽洋画 「アルプスへの道」児島善三郎、「ゆく春」小林和作、「外輪山」田崎広助、「殉教者」海老原喜之助、「親子」山口薫 ▽彫刻 「裸婦」藤井浩佑、「ポーズ」北村正信、「寝ている女」木内克、「婦人像」柳原義達 ▽工芸 「鷺花瓶」松本佐吉、「飛天透筥」飯田喜代鏡、「ふり」堀柳女、「青銅盤」会田富康 ▽書 「春閑」松本芳翠
京都鹿苑寺の金閣は昭和二五年七月二日放火によつて全焼したが、再建資金の一部がまとまつたので、二二日午前一〇時から起工式を行い、再建にとりかかつた。予算一五〇〇万円で三ケ年計画とし、原型どおり、とりあえず白木造りのものを造る。
上村松園を記念し、日本画女流作家の育成と奨励のために設けられた上村松園賞の第二回(一九五一年度)は新制作協会々員堀文子に決定し、二日発表された。第一五回新制作協会展出品の「山と池」、および今日までの業績に対して授賞されたものである。授賞式は一八日、毎日新聞大阪本社において行われた。